国民をスポイルする政治

前回まで2回続けて、相対性世界とその本質性について敷衍して来た。

相対性世界の本質と、人間がそこで生まれ、生きて行く意義が完全でなくても理解できた方は、前回の最後の所で触れておいた、この相対性世界を生きていく上で最も大切な事は、何事であれバランス観(タイミングも含む)を持って生きる事だという点を忘れないようにしてほしい。

恐らく、自分が生きているこの世界の本質性と、そこに生まれ、生きる意義というかダルマ(正義、使命)を理解する度合いに比例して、自分の生き様、人生観、価値観、世界観に大きな変容が起き始める事を自覚すると思う。

締めくくりとして、相対性を超越(包含)したステージ(精神性、霊性)が、”真理”であり、釈迦やイエス、ジニャーニ(聖賢)の教えである事を申し上げておく。

 

これから先は、こうした角度からの勉強する事によって、それまでとは変わった世界観、例えば幸福、成功、平和、教育・・等について、どう解釈するようになったのか、といった事を具体的に論述して行きたいと思う。

さて、背景は判らないが、いつの頃からか我が国では硬貨の表だけ、或いは明暗の明、光の部分だけ・・と、人間(社会)にとって都合の良い面だけを、選択的(政治的)に取り出せる、取り出して提供すべきだというような要求が平気でされるようになった気がするのだ。ハッキリ言って、それを声高に主張しているのは、必死の努力して自分の力で生きようとしている人達ではなく、弱者~老人、社会保障需給者など~、社会(=他人)の恩恵で生きている人達に多いような気がするのだ。

戦後、人間教育を無くした上に、ポピュリズムを醸成するような政治を行ってきた結果なのだろう。人気取りの為以外に、何かそうする理由はあるのだろうか。

政治家に、官僚に、またそれを望む人たちに訊きたい。

非現実的な、光だけを欲しがる連中を納得させ続ける事ができると思っているのだろうか。できもしないことを、できると思わせるような政治を続けて国家、国民の将来は心配しえはないのかという事を。マスコミにも、財界にも、識者・・にも訊きたい。

世界の現実を観ると、世界の本質である相対性というものを見ていないとしか思えないのだ。ヒョットしたら、見えない振りをしているだけなのかも判らないが、一方では殆どの日本人が、ポピュリズム的政策を続けて行くべきと、主張しているようにも思えるのだ。

戦後の日本人は、『今だけ、自分だけ、金だけ』という乞食根性の持ち主に凋落してしまったのだろうかと、ぞっとする事が少なくない。どうであれ、遅かれ早かれ人間は大自然=天からそれ相応の落とし前をつけさせられる事になるのだろう。何故かって。“天地の理法”に逆らっているからと言えば判るだろうか?

人生における痛み、苦しみは、天の理法に逆らった時、その度合いがあるレベルを超した時に、現象化するのだ。『お前は間違った考え方をしている、生き方事をしている』と教えるために。

 

現代の日本人が留意しておかなければならない事は何事であれ、生まれて~生きて~死ぬ、という人生は、全て自分一人の責任の下に在る・・つまり、人生は100%自己責任なのだという思いに他ならない。

にもかかわらず、これも戦後の日本における傾向だが、生むのも、生まれるのも、育つのも、育てるのも、全部国が面倒見るのが当り前、といった風潮に成り果ててしまった。政治家も、大衆もその風潮に疑問すら持たないらしいのだ。これでは、人生とは自分自身が作り上げていくべきもの、などといった意識など持ち様がないだろう。

参議院選の目玉、与党を責める最大材料にしているらしい”200万円不足”問題だが、ああいう杜撰なことをした金融庁の罪はともあれ、そもそも、国が、政治家が、官僚が国民に言った事を全て本気にしていたのかと訊きたいくらいだ。もし、本気で信じていたとしたら、政治家が嘘をつくのは普通だし、マスコミの無責任報道もこれまでの歴史を振り返れば、驚くほどのことではない事が判るだろうに。

それは大衆の責任でもあるのだ。そういう美味しい事を言わないで、現実の厳しい事を言う政治家には票を入れないのだから・・。

そもそも、国が約束を守る、守らないなどという以前に、どういう情況になろうと、自分の人生は自分の手で生活できるようにしておくべきなのだ。

それが人生における根本原則ではないか。

自分の人生を守るのは自分だけなんだ。できないからって、当然のような顔をして国に要求する、またそういう事を売り込む政治家や、マスコミが居るが、そんなことを言うくらいなら、その前に高給取りのお前さんたちが、自分の資産を提供するべきじゃないのか、と言いたい。

無責任に、恰好好い事を言うだけなら誰にもできるんだ。

それにしても、この国の為政者は、国民をスポイルしてダメ人間にしまうつもりなのだろうか。まさか、自己利益、省益を守るためが真意なんてこ事はないだろうが・・。

認識されていないのだろう。為政者が、人間の本質性、また世界が持つ相対的本質性を無視して、理想論だけをプロパガンダして、国民にそれが実現できるかのように思い込ませる事は、大きな罪なのだという事を。

人間は苦楽伴う人生経験を通して、国家間の生存競争、人間の生存競争について、またそれに付随する不条理性と、矛盾について観察し深く考察する義務があるのだ。それがこの世界に生まれた学びの1つでもあるのだから。

暫く、事情があって休ませていただきます。