『虐め』を考察する ①

小中学生の虐め問題が世間に採り上げられるようになって、どのくらいになるのだろうか。問題解決のための手を全く打てないないまま来た政府は、とうとう事もあろうに子供の虐め問題を法制化しようとしているしい。そんなことで解決(=無くする)できたとしても、表面的なものでしかないのだ。

どうも政府関係者も、教育界の人間も、識者と言われる人達・・も、虐めの本質が全く分かっていないらしいのだから驚くではないか。教師の体罰と、一般的な所謂暴力行為を同じ次元で捉えてストップするのと同じ事がここでも行われようとしている訳だ。

改めて、政治家や、文科省の官僚、学識者など識者と言われる方々、そうそう論説委員とかTV局の偉い人達マスコミの人達に訊きたい。

1つ目は、これほど大騒ぎし、アレコレやっているにもかかわらず、虐めが減ったとか、無くなったという話を耳にしたことがないのは何故なのか、解明できているのか、或いは解明しようとしているのかという事を。それは何処の誰という人たちが、どういう手順でやっているのかという事を。

2つ目、あなた達は本当に、本気で虐め~これは学校だけでなく、企業の職場や警察、自衛隊など人間集団におけるものも含めて~を無くする事ができると思っているかという事を。

3つ目、虐めの本質は何なのか、原因は何処に在るのか、この問題を軽減するためには何をすべきなのか、といったことを解明しているのかという事を。

このブログを目にした人は、この問題に本気で取り組んでみられる事をお勧めする。真剣にこの問題を考察し、それなりの結論を導き出すことができれば、あなたの人間観、引いては人生観に深みを持たせると思う。

今も社会の木鐸を自認するなら、マスコミは虐めた子供を非難したり、学校や教師の責任を追及するといった無責任な報道をする前に、上記のエスタブリッメント人に質問しで、本音の聞き取り調査くらいしたらどうなのか、と言いたい。

日本の将来の為にも、識者特に教育関係者は、真に実効性のある解決策を考え、提案し、改革を断行するべき義務があるはずなのだ。

そのくらい、この現象は日本の将来を左右しかねない問題でもあると言える。

次々と子供が自殺をする恐るべき事態に、全く手が打てないのが現代日本の、また日本人の実態だという事を認識している人はどのくらい居るのだろう。経済成長だ福祉だなどと金を追いかえてばかりいないで、こんな国は世界で日本くらいしかないという事に意識を向けてみたらどうなんだ。

ゾーッとするものがあるだろう。それでも多くの日本人は、所詮他人事、一時的な現象くらいにしか思えないのだろうが。

もし、本音では、虐めはなくならないと思っているなら、無くならないという前提で、いじめ問題を捉え、現場の教師、教育委員会文科省そして父兄も含めて真の教育改革につながる、教育理念~在り様を考え直すべきではないのか。

現下の“虐め”に対する日本人の考え方、対応の仕方を見ていると、そのまま戦後の日本人の戦争、また平和に対する考え方と本質性が似ているように思われて仕方がない。それは又、戦後の日本人特有の、世界に例を見ない世界観でもある事が理解できる。

詰まる所、個人間の争いも、国家間の戦争も、本質的には相似形にあるという事に他ならない。この事からも言える事だが、虐め、夫婦げんか、親子喧嘩、友達との喧嘩、酒癖による喧嘩・・等々、この世から人間同士の喧嘩がなくならない限り、人間が殺し合う戦争がこの世からなくなるはずないのだ。

誰だって虐め(による自殺)、(紛争による)悲惨な情況・・を見た時、豊かで平和な人生を送っている自分が、何かできる事はないだろうかなどと考えるよりも、眉をひそめて「可哀想」という言葉を吐くだけで当事者意識や、後ろめたさを消し去った方が楽ではあるだろう。しかし、当事者意識を持たない経験などいくら繰り返しても、本当の学びにはつながらないのである。

これは平和ボケした日本人の特質とも言える。虐めに対する受け取り方、対応の仕方も、これと似たような精神性が共通しているように思われて仕方がない。

教育問題だけでなく憲法も、防衛も、外交も、財政問題も・・、濁りの元である物質を取り除く煩わしさには目をつぶって、かき混ぜて全体を薄くし、取り敢えず澄んだ水にしたつもりになって、「よし」とするような事を今まで続けて来た訳だ。

しかし、虐め問題に限らず、最早そういうやり方では通用しなくなったという事でもあると考えるべきなのだ。

 

さて、本題に入る前に、虐めによる子供たちの自殺に関して考察したい。

先ず、上記のエスタブリッシュメントの方達は、クラスメートに虐められたくらいで簡単に自殺する今の子供達をどう捉えてているのだろうか。その本音を知りたい。特に、文科省の官僚、教育界、マスコミのご意見番(と思われている人達)はどのように認識しているのだろうか。

本来、子供が自殺するなどということはあり得ない事と言っても過言ではない。若い生命体が持っている『生きようとするエネルギー』はそのくらい強く、大きいのだ。にもかかわらず、日本の子供達は何故これほど弱いのか、また弱くなったのか。こうした背景、根本原因を解明しないで、何を法制化しようと言うのか。

この自殺に関しては、虐めによる自殺の報道をする度にその責任者を作り上げ、眉をひそめて「可哀想」という言葉を連発して顧みないTVのコメンテイター達に言っておきたい。あんた達の「可哀想」連発弾のせいで、自殺する気持ちなどなかった子供がアテツケと、同情心を引くために、自殺を断行した可能性が大きいという事が判っているのか、という事を。

どのように言い訳しようが、或いは自己弁護しようが、あんた達の無責任な“可哀想連発弾”を連発した罪が消える訳などないのだ。

そうな情緒的な綺麗ごとを言うのではなく、「自殺するような子供は地獄へ落ちるんだ。今まで両親に育ててもらった恩義を忘れて、人生から逃げ出す馬鹿者だ。人生はつらいものだが、全て自分の責任で解決する努力をすることで成長するんだ」と何故、言わないのか。誰1人として・・。

ともあれ、厚労省か、文科省なのか知らないが、国は子供の安易な自殺傾向の根本原因を調べ、解決策を採るべきではないのか。

1946年、『貧しい島国の小さな黄色人種が何故、これほど強かったのか』という原因と、背景の究明に取り組んだ、占領軍司令官のマッカーサーが今の日本を見たら何と言うだろうか。それ以上に、日本を守ろうとして若い命を散らしたあの軍人たちにしてみれば、泣いても泣ききれない事だろう。本来の日本人は、これほどに虚弱な精神性の民族ではないのだにしてみれば

仕方のない事とは言え、学校側は「二度とないようにします」と言って、謝る事の繰り返し、自殺した子供の親は恨み事を言うばかり、TVのコメンテーターは眉をひそめて「可哀想」を繰り返すばかり・・で、実効性のある解決案など我が国の誰一人、口にしようとしない。

何処か、この国はオカシイと思わないか。

 

学校の責任に関して言うなら、体罰は無論のこと、あれもこれもダメと手足を縛られたままの今の教師に、また学校に何ができるというのか、と言う他ない。しかも、このような教育現場にした責任は、無論文科省の責任は逃れられないとしても、全父兄、特に母親たちにあるのではないのかね。

今回の法制化で「教師の責任を問う」ようなことを言っているが、そんなことをしたら、教師のなり手が居なくなるだけでしかないと、何故判らないのだろう。

教師や学校の責任を言うなら、このような教育理念、体制にした戦後の政治家、官僚にこそ本質的な責任があるのじゃないのか。

何をくだらない事をやっているのか。何のために、最高学府で学んだの過ね。そんなことではなく、もっと本質を洞察するべきじゃないのか。

さらに、虐めっ子や、学校を非難する自殺した子供の親たちにも敢えて言っておく。厳しい言葉かもしれないが、「他人(手足を縛られた教師も含めて)など充てにしないで、あなたたち親が本気で我が子を守る気があったら、我が子は自殺などしなかったのだ」、という事を。

まさか、あなた達は、自殺寸前まで追い詰められていた我が子の家での様子に「気が付かなかった」などとは言わないだろうね。どの子供も最も頼るべき親に「助けて欲しい」というシグナルを出し続けていたはずなんだから。もし、自分はそのシグナルを子供に出させないような親だったと思うなら、或いは本当に気が付かなかったと、言うのなら、自分以外の誰を非難できると言うのか。

 こうした父兄全般の人間性(レベル)凋落の一端が、我が子が叱られたからと言って、先生に文句を言ったり、怒鳴りつけるという現象であることも判るだろう。更に言うなら、もっと良くないのは校長も、教育委員も、文科省も・・、そうしたできの悪い父兄たちに何も言おうとしない事と言える。いやいや、マスコミの報道もそう。自殺者が出る度に恥ずかしげもなく、毎回無責任極まりない報道を繰り返すだけなんだから、社会の木鐸が聞いてあきれる他ない。

少なくとも、そんなアホな父兄に対しては校長や、教育委員が「あなたたちの子供は、これ以上面倒見切れません。自分の責任で他の学校を探して、転校しなさい」と放り出すべきなのだ。文科省やマスコミはそれをバックアップすべきなのだ。

先生をここまで弱い立場い追い込んでおきながら、「自殺の原因になった虐めを放置しておいたのは教師、学校の責任だ」などと恥ずかしげもなく言う。

何処か、日本は狂い始めていると思わないかね。

エスタブリッシュメントと言われる達が先ず考えるべきべきことは、子供たちが安易に自殺をする傾向を如何にして止めるかという事ではないのか。何故、このような精神性の子供が増えたのかという事を精査すべきではないのか。

政治家も、文科省の官僚も、TVのコメンテイターなどマスコミも・・識者と言われる連中の誰一人として、それを提案しないのは何故なのか。不思議を通り越した思いで居るのは、私一人だけだろうか。

こういう事を言うと、「お前は、虐められた子供を持ったことがないからそんな気楽な事が言えるんだろう」などと、捻くれたことを言う人も居ることだろう。だから、虐められた子供を持った親の経験を持つ私が、その時、どのようにして、どう解決したかを話してたいと思う。公開するのは、初めてのことだが、賛否両論ある事は承知の上。但し、自分があの時した行為には何らの後悔もないし、日本男児としてああするべきだったと、今も確信している。

来週は、殆どの人が驚くであろう実話をご披露する予定だ。但し、お断りしておくが私は裏社会の人間などではなく、大学卒業後は証券会社の調査マン、その後フルコミッションの営業をやって来た、少し型破りなだけの社会人であつたことをお断りしておく。