ジェネレーションギャップがもたらした弊害

 *ジェネレーションギャップ現象の始まり

戦後70年間に及ぶ“人間教育不在”によって、戦前までの日本(人)には考えられなかったような社会現象、犯罪が引き起こされている事に気が付かれるだろうか。

戦前の教育を受けた大正生まれの教師達が小、中、高の教育現場から引退した頃から否、教育者だけでなく、大正時代生まれの東大、京大、士官学校等を卒業した政、財、官・・各界におけるリーダー達が、当該現場から居なくなった1970年辺りから、社会(=日本人)が徐々におかしくなり始めた事が判るだろうか。

この頃までは、『粗にして野だが卑ではない』という言葉を残された石田礼助氏に見られるような世界観、価値観、人生観を持ったリーダーが未だ各界に多く居たのだ。これらの人たちが戦後の日本を建て直し、経済大国日本を実現するためのリーダーシップを発揮した事はご承知のことだろう。

ところが、21世紀を迎えるころには東大卒の高級官僚、超大手企業の役員といったエスタブリシュッメントたちが、いずれはバレルと判り切っているような虚偽を平気で口にしたり、やったりする事件が後を絶たなくなったのである。判っているだけでこれなのだから、実数はこの何倍もあるのだろう。

大正生まれの人たちが居なくなって未だ半世紀も経っていないのに、「東大出がこの国をオカシクしている」と言われても、反論できないような情況になってしまった。

どういう訳なのか。

それでも、大正生まれの人達(戦前の教育を受けた年代層)から直接教育を受けたり、薫陶を受けられた昭和20年代生まれくらいまでの日本人には、人生観や、世界観にその名残を残している人が少なくなかった。男性を例に採ると、「人間として・・」とか、「男として・・」、とか「正々堂々と・・」といった精神性(漢気)を残していたという事なのだ。つまり、脆弱さとか、卑怯とか、恥・・といった精神性を嫌悪していたという事なのだ。

この点は、女性も同様と思われる。電車の中で化粧直しはするわ、パンは食べるは、男とぶつかりそうになっても、除けようとさえしない・・。むしろ、違いは女性の方が極端なのかも知れない。

しかし、今やこの年代の人達も70歳代になり、社会の現場から居なくなって数年が経過した訳だ。このジェネーレイションギャップによる影響が社会面や、人間生活面においてどのような弊害をもたらしたか、その実例を思いつくままに採り上げてみよう。

1970年代以前は、親の年金を宛てにして働かない、成人男子など皆無だったし、単なる怠け者に”引きこもり症”などと言う病名を付けて、面倒見てくれるような阿呆な親父など居なかったから、外へ出て働くしか仕方なかった。また、虐めらた位のことで自殺した子供も居なかったし、成人式で馬鹿げた衣装を着て、暴れるようなガキ共も皆無だった。何よりも、世界で最も暮らしやしとか安全と言われている国に生まれながら、年間3万人前後の自殺者が居ること自体、考えられなかった。

当時は、自殺とは親不孝の極致であり、地獄へ落ちて当然と言われていたから子供は勿論、大人にしても余程の事でもなければ、自殺するなど思いもよらい事だったのだ。

兵役を経験した大正生まれの親たちは、我が子が18歳過ぎて、大学も行かずにふらふらしているようなら、「自分で生きて行け」と言って、放り出すのが当たり前だった。

それは、子供が憎いからではなく、自分達よりも長く生きる子供のために社会を、人生を学ばす必要があると認識していたからなのだ。当然、精神病者以外で家庭内暴力をふるうような子供も皆無だった。

統計化したわけではないが、1970年辺りから親のダルマ(使命、義務)を怠り、何事も穏便にと見て見ないふりをして、甘やかす親が増えて来たように思われる。

概ね、1950年以降生まれの親に、見られる事に気が付くのではないだろうか。

敢えて言う次第だが、『オレオレ詐欺』に引っかかるような親や、祖母さんは、こうしたバカ親の典型的なタイプという事を。それを愛だなどと勘違いして美化する人間が居るが、愛は自分の子供以外にも与える精神性なのだ。それらの殆どは、自己愛の延長線上に在る、エゴの表れでしかないという事さえ分っていないらしい。

 

*男は居ても、“漢”が居なくなった日本

 ごく最近川崎市で起きた殺傷事件にも、その事が表れている。

事件の現場には多くの一般男性が居たにもかかわらず、あのキチガイ男を誰も止めようとしなかった今の日本をどう思うか。TVも下らないレポート番組をするくらいなら、その事を街頭で訊いてみたらどうなんだろう。それ以上に腹立たしいのが、TVのキャスターたちの誰一人その事に触れもしないで、キチガイ男の家庭環境とか、少年時代とか、何の役にも立たない事ばかりを採り上げて大騒ぎしている事なのだ。ブラウン管の向こう側で、したり顔してしゃべっているこうした連中を見ていると憤りというか、気味悪さを感じて仕方ない。

無論、被害にあった人達、特に子供たちは「可哀想」と言う以外、一言もないのだが、それ以上に無我夢中でそれを止めようとした男が一人も居なかった、という日本の現実に悲しさと、憤りを感じて仕方がないのだ。同時に、本当に日本(日本男子)は駄目になったんだな、という思いに捕われた事だった。

こうした問題の全ては、その根底に教育・・、人間教育の欠落があるという事に気が付かないだろうか。

前述した戦前生まれと、戦後生まれの男の違いは、『人間とは如何に生きるべきか』、『人間の尊厳性とは何か』、『男は如何に在るべきか』・・、といった精神性を意識しているか否かに在るのではないかと思うのだ。

さらに言うなら、『人間社会はどうあるべきものか』、『親子は・・』、『教師と生徒は・・』・・といった事を、小学校から大学に到るまで教える教程が存在しない事をどう考えるべきだろう。私見だが、特に文科省も含めて教育分野、警察、司法分野に就職しようとする人は、この事を学び、体得した人上で就くべきではないかと思うのである。否、そういう分野のテストこそ不可欠と思うのだ。

これを読んで『男尊女卑』だとか、『時代遅れ』などとしか思えない人間は、即刻このページを閉じるべきだ。

ただ、我が子が虐められるような問題だけでなく、人生では何時、何が降りかかって来るか判らないということを認識しておくべきなのだ。そして、何時であれ、何事であれ最終的には、己が力でしか解決する事も、切り開く事もできないのだという事も。

敢えて念押しをするまでもない事だが、本来教育とは勉強(知能)だけでなく、体育(健康、体力)、芸術的素養(感性、情緒)、そしてクラスメート達との交わりを通して学ぶ人間学、人生の先輩(教師)から学ぶ社会学(礼儀、信義、徳育)を身に着けるという事なのである。

 

*本学と末学

特に、人間学に関しては先生だけでなく、両親に大きな役割が課せられているのだ。しかしながら、それができる親も、教師も稀でしかなくなったのが、昭和30年代以降に生まれた日本人の特質と言える。つまり、子供よりも先生や、親の方から先に、人間学を教育し直さなければならないのが、我が国の現実と言ば、その深刻さが判るだろう。

学業の成績を上げるための数学や、英語・・、連れて経済学とか法律、政治、理化学・・といった学問は、生活のための学問ゆえに”末学”とされたいた。

一方、人間が本来学ぶべき学問として、”本学”という人間学が戦前までは厳然として存在していたのだ。それは点数でつけられるものではないが、成績以上に大切な学問であることは日本人共通の認識事項となっていた。だから、当時は学問の成績が良いだけでは、”がり勉”と言われて馬鹿にされていた。末学という生活のための学問だけに打ち込んで、本学という人間学を無視、軽視している事を、揶揄した言葉だったのだが、当時はそう言われるのは恥ずかしい事だと誰もが認識していたから、むしろ成績が良い子供ほど、人間としてどうあるべきかという事を常に考える癖を身につけていた。

真のエリートとは、家柄や財力、また学歴などで決められるものではなく、知力と体力そして人間力をレベル以上に習得し得た人物を評する言葉なのだ。

この3つを養成するための学校が陸軍士官学校と、海軍士官学校であったことをご存じの方も居ると思う。だから、この2校に合格する事は生徒の家や、地域にとっても名誉な事であったから、町村挙げて合格者を祝ってくれたのだ。

ある意味、そのくらい戦争に勝つために部下を導き、命を懸けさせる指揮者という存在は知力、体力だけでなく、人徳という人間力を備えている事が求められたのである。

こうしたエリートを育成いするための、また修得するための精神的基盤となったものが『教育勅語』であった事が判る。日教組や、共産党はここに謳われている真の意味を解釈しないで古い言葉使いや、揚げ足を取って非難~否定するのだが、外国の専門家などは教育理念、指針としてこれ以上のものは無いと絶賛しているのだ。

ともあれ、戦勝国と左翼思想団体によって、教育理念の支柱であった『教育勅語』が消滅させられた結果、戦後の日本は末学だけとなってしまったのだ。

結果として、戦後の日本の教育の在り様を見ると、真のエリートを養成し得ない中途半端な教育理念~体制に在る事が判ると同時に、前述した一連の不祥事、罪悪を生み出した背景が理解できるだろう。

即ち、大衆をリードすべきエリートが育てられない教育理念~体制のまま70年間経過した結果が、東大を卒業した人達の不祥事の連発になったと言えるのではないだろうか。

今こそ、『尊厳性ある人間』を養成するための教育基盤を確立する必要があると断言しておく。

個人的見解だが、『人間としての尊厳性』は、『自己責任意識』と『自己犠牲的精神性』が、両輪となって構成されている精神性と考えている。この2つが備わっていない”エリートもどき”くらい始末の悪い生き物は無いのだ。

この事については、後ほど触れる事になると思う。

因みに、マッカーサー占領政策において先ず取り組んだ事は、「あの貧しい島国の、小さな男たちが、何故あれほど強靭だったのか」を、解明する事だったと言われている。調査した結果、その源は子供の頃から叩き込まれた”本学”という人間学にあることが判ったらしい。

占領政策の一環として、あの非現実的な平和憲法を押し付ける一方、学校教育からは日本創生の歴史学と、本学という人間学教育勅語)を抹消してしまった事は解らなくもない。そして、その代わりとして叩き込まれたのが、出来損ないの左翼思想と、個人主義であり、それを植え付けるための日教組共産党などによる改革(=改悪)だったという訳だ。

それにしても、サンフランシスコ講和条約の締結と共に、占領政策は終了したにもかかわらず、今日までの総理大臣、誰一人として、日本民族の背骨、また存立基盤である憲法を、また日本民族として、将来に渡って存立して行くための歴史観、教育理念を本来の姿に戻そうとさえしなかったのだ。驚くべきことだと思ないか。その罪は、決して小さくないと思う。

如何に、アメリカに強要されていたとしても・・。

戦後の日本の教育は70年間、正に本末転倒の状態が続いているという事なのだ。

こう言えば、虐め問題一つも、教育理念の不在から出て来たことが理解できるだろう。

 戦後の歴代総理、文科省の官僚、或いは識者と言われる人達が、本当にこの事が理解できているのであれば、未だに日教組などという反教育的な組織を温存させているのはどういう意図があっての事なのか。このような組織を放置しておいて真の教育体制、その基盤となる教育理念など確立できるはずない事は明らなのに・・。

 

*自己責任意識

少し戻って、虐めに関して言うなら、今の時代においては、子供が虐められているのを止められるのはその子の親しか居ないのだ、という事を申し上げておく。

親の居ない子供はどうするのか、だって・・。その前に、親の居ない子供で、虐めで自殺した子供の話は聞いたことがあるか、という事を訊きたい。

子供というのは、大人よりも残酷なところがあるのはご存じだと思う。だから、昔から親の居ない子や、片親は虐められやすかったのだ。恐らく、今も変わらないと思う。

もし、親の居ない子が虐められて自殺したなどということがあれば、マスコミが放っておくはずないのだから、無いという事なのだろう。

ところが、現実にそういう話は聞いたことが無い、のはどういう事だろう。

この答えを知った時に、心から現代日本の躾け、教育の不在と、その問題点が浮かび上がって来る事だろう。

何よりも、問題は親の姿勢と言える。昭和3~40年頃までは、確かに担当の教師の責任も大きかっただろうが・・。

もし、我が子が虐められているのではないかと感じたら、すぐ率直に本人に訊く事だ。具体的な虐めの情況、思い当る理由、教師やクラスメートの反応(特に教師が気が付いているかどうか)・・、十分状況を把握した上で、担当教師に会い、確認した後、先生同席の上で虐めている子供達と話をすれば殆どの場合、解決するはずなのである。それが難しい悪質な情況なら、相手の父兄を呼んで話をする必要があるだろう。但し、この時の相手の出方次第では、『我が子を守るためには何でもやるぞ』と、腹を括っている事を相手に感じさせるくらいの強い決意をしておく必要がある。ある意味、それができるかどうかが、親としての資格があるか、どうかという事でもあるのだ。

 この虐め問題に対する政府というべきなのか、日本人というべきか・・、その対応振りを見ていると、特に法制化云々などという話を耳にすると、本当に虐めの本質が判っているのか、またそれで実効性があると確信しているのか、と訊きたくなるような体たらくでしかない。これは虐め以外の児童虐待、ストーカー、あおり運転、不法投棄問題、ゴミ屋敷問題・・、に対する政府や自治体の対応と、本質的には同じ問題である事が判る。要するに、何かをしたという実績作りと、責任逃れ以外の何者でもない事が一目瞭然なのだから根本的な解決につながる訳ないのだ。

福祉政策にスポイルされた現代の日本人は今こそ、生まれるという事、生きるという事は、全て自分自身の責任以外の何者でもないということを噛み締めるべきだろう。