平成日本と日本人の実態

1980年辺りから目につくようになり、2000年に入るとそうした事が珍しくもなくなってしまったことがある。一言で言うなら、古くからの日本人には考えられなかった社会現象(人間の言葉、行動)が顕著になって来たという事。

昔の日本人がどうだったと言うのか、と思われただろうか。

それは人間としての在り様が戦後、特に1970年辺りからコロッと変わったという事なのである。それまでの多くの日本人は、人間とは“人間学”を指針にして生きるべきだ、と考えていた。つまり、潔さとか、恥を知るとか、言い訳しないとか、弱い者虐めをしない、強者を挫くべしとか、親孝行をすべしとか、年長者、師を敬う・・という事を常に頭の何処かに置いて生きていたのである。今は言葉として知ってはいても、余り意識をしない指針(哲学)と言えるだろう。

今は?  判らなければ儲けもの。他人がどう思おうが法律さえクリアしているならOK・・といった生き様が幅を利かせているのではないだろうか。

この指針(=生き様)の根底には“自己責任意識”と、“自己犠牲的精神”の2つの精神性がある訳だ。

新聞やTVで目にしたそうした事例を思い出すままに挙げてみると、そのⅰ教師の地位低下(質的低下も含めて)と、父兄の人間性の凋落が一番気になるのだ。ⅱ、親孝行など考えもしなければ、大人を怖いとも思わない子供が増えている事。ⅲ、我が子を叩けないどころか、遠慮がちという父親が増えている事。私には、息子を殴ったことの無い父親が少なくない、という事を理解できない。人間とは大人でさえ愚かな生きもなのだ。特に子供は動物と変わらない精神性に在るのだ。したり顔して「話せばわかる」などと言う人間は夢想家か、余程傲慢な人間だろうと思っている。子供頃から話せばわかるような人間ばかりなら、今の日本~世界をどう考えるのかと訊きたい。

だから、教育、特に人間教育が大切なんだ。

ⅳ、年長者に対する畏敬の念の消失。ⅴ、一流大学を卒業した一流企業の役員、経営者が、「何故、こんなすぐわかるような不祥事を・・」と言いたくなるような稚拙極まりない事を起こしている事。ⅵ、他国に比べて、日本人男性の雰囲気が全体的に弱々しくなった事。俳優にしても、男臭いのが居なくなった気がするのだ。一方、女性を見ると、いずれ自分は子供を産み、母親としてチャンとした人間に育てる使命を持っていると自覚している女性が少なくなったように思われるのだ。更に言うなら、子供を持つ母親が、母親として如何に在るべきかという自覚を持っている女性も少なくなった気がする。ⅶ、殆どの日本人が個より全体を優先しない、つまり全体よりも個が優先すると本気で思っているらしい事。ⅷ、自分なりにせよ歴史観、国家観を確立している日本人が殆ど居ないらしい事。これは国(政治家)が戦後、そういう教育を破棄してしまったのだから仕方ない面もあるのだが。

すぐに頭に浮かんで来たものだけでもこの位あるのだから、精査すればこの何倍もあるのだろう。

こうした情況から言える事は、戦後の日本人の多くは大義という観点に立って物事を考えたり、生きようとしなくなったらしいという事。当然、自己責任意識、自己犠牲的精神性といった人生哲学を確立している日本人も稀という以上に稀な事だろう。

反面、『今だけ、自分だけ、金(得か損か)だけ』という生き方を賢い生き方だと考えている日本人が増えたという事なのだ。

しかし、そんな賢さは所詮、その上にズルか、ワルが付く狭くて、小賢しいものでしかなく、社会や人々に悪影響を及ぼしても、貢献する事など全くない生き様でしかないのだ。ここには、人間としての誇りの欠片もない事が窺えるだろう。

想像してみて欲しい。日本中がこんな人間ばかりになった時のことを。

人それぞれ、色々な考え方(価値観、世界観、人生観)はあるだろうが、要するに70余年に渡って、経済的効率だけを追いかけた日本人が築き上げた国の姿が、これという事なのだ。

国家の基盤である憲法を他国に創らせたまま、また国防を他国に委ね、ひたすら金を追い掛けて来たのだから、そりゃ楽だったと思うよ。

かって、運輸省事務次官から国鉄総裁を拝命した石田礼助氏が、自分を紹介するに当たって、『粗にして野だが卑ではない』と仰った事をご記憶の方も居ると思う。そういう人物があらゆる分野において消えつつある、否消えてしまったのが21世紀の日本なのだ。確かに粗ではなく、見た目は上品で知的な人間が増えたように見えるが、本質は臆病で、小ズルく、小賢しい要領のいい人間が大手を振って歩く国になったという事ではないのだろうか。

留学を志す若者、起業を志す若者が急減しているという事実からもこの事が窺えるだろう。今の日本は知らない世界、新しい分野に踏み込んでいく勇気も、見識もない若者ばかりになったという事に他ならない。

来週以降、その原因、できれば対処法についても考察してみたいと思っている。

文中、見落としている点や、勘違いしている事もあると思うが、本質は間違わないようにするつもりなのでご寛恕のほどよろしくお願い申し上げる次第。

 

2019. 4. 5